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駅までの帰り道、車の中で慌てて除光液で爪の青色を落とした。

 

3月で上京して8年が経った。22歳だった私も気付けば30歳になった。

 

あの頃言われた母の「いつでも帰っておいで」は私にとってはお守りみたいな言葉で、でも自分の中では「今さら後には引けません」という気持ちが大きかった。

何もない地元だったけど、離れて昔よりも好きになれた私の故郷。

たまに帰ればご馳走というくらい私の好きな物ばかり食卓に並ぶのがうれしかった。

でも胸を張って帰ると言っていたのに、どんどん逃げるように帰るようになって、いつも電車の中で泣いていた。着いた頃には泣き止んで何事もなかったかのように明るく振る舞う。自分のこともどんどん話さなくなった。

 

それから帰るのが嫌になってしまった。年末年始に帰らない年もあった。どうしても自分の居場所がないように思えて辛かった。

確かその時は自分の部屋が一度なくなった時で。今はあるけど私がいた頃にあった本や漫画も机もなくて、引き出しの中身も変わっていて、自分がここにいた証がないなと感じて。

それでも20代の頃はまだ東京で頑張れると思ったし、地元の子にも帰ってきなよとは言われなかった。

あっという間に時間が経って私は20代ではなくなってしまった。地元に帰れば必ずと言っていいほど結婚や出産の話になる。年齢を考えれば当然なのだけど、私は正直そんな話はしたくなかった。私は婚活パーティーも街コンもマッチングアプリもしたことがなくて、合コンみたいなのは20代前半に2回くらい参加しただけ。その時初対面の人が勝手に携帯を見てきたのが信じられなくて、それからは全く参加してない。

久しぶりに初対面の異性と話したときに何も話題が思いつかず、仕事の話になったときはとても人前で言えるような仕事ではなかったので話題を変えた。おもしろい話もできず、おもしろくもない話で笑っては、気を使うこともできず、私はどうしてここにいるんだろうという気持ちになった。

履きなれないヒールは痛かった。

 

母やおばあちゃんには本当に申し訳ないと思う。ふたりからの早く帰っておいでには応えるべきだと思うし、それでも帰らない私はただの親不孝者だと思った。

それができないのは私が今でも大人になれてなくて、東京で現実を見ないで夢を見てるからだなんて言えないし、きっと誰にもわかってもらえない。あんなに大好きだった地元に帰るたび、みんなにはやく帰ってきなよと言われて私は辛かった。そう言わせてるのは私なんだけど、本当は東京でがんばってるねと言われたかった。

でも私には言い返せるほどのものが何もないから、どうすればいいのかわからなくなっては、はやくあの狭い東京の部屋に帰りたいと思ってしまう。

結婚なんていらない、子供がほしいなんて思わない。家族が私には眩しくて、誰もが持ってる身近な幸せが私にはとても遠い夢みたいだ。