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2年前の冬にもう一度展示をしようと妹と決めた。次の年だと準備も間に合わないから、2年後の春にやることにした。

タイトルは「私生活」

 

けれど1年前突如現れたコロナウイルスによって、私たちの生活はどんどん制限されていった。普通が普通ではなくなり、普通でないことが普通となった。テレビでは「新しい日常」という言葉が当たり前のように使われていた。日常なのに新しいという言葉がついているのが違和感でしかなかった。

それでも時間が経てば少しずつ制限は軽減されていった。だけど冬になると感染者はどんどん増えていく。そしてとうとう春の感染者数をあっという間に超えて最高記録を出した。

年が明けても状況はほとんど変わらず。春になったら今より良くなるという確証はなかった。緊急事態宣言が再び出されもう無理だと感じて展示を延期にした。もちろんやることは可能と言えば可能だったけれど、そこまでして今やるものかと言われたら違う気がした。今やっても誰も来ないだろうと思った。

 

延期にしようと決めたのはコロナだからと言えばそうなのだが、理由はそれ以外にもあった。私自身がほとんど写真を撮らなくなっていた。カメラの中には秋に入れたであろうフィルムがまだ入っている。

 

今年の3月で上京して10年が経つ。その節目という意味でも展示は上京した3月にしようと決めていた。

上京してからは地元にいた頃よりひとりの時間が増えて、知らない街にもたくさん行った。笑ったことも泣いたこともたくさんあった。そんな中で生まれたわたしの生活。

けれどそれも今では私のものではなくなってしまった気がした。制限される生活、自粛する生活、それはわたしの「私生活」ではなかった。途端に自分の中の大事なものさえもわからなくなり、何を残せばいいのか、何を撮ればいいのかわからなかった。

こんな気持ちのまま展示をやることはできなかった。今までも何度か撮れなくなることはあったけれど、今までのものとは違うことはわかっていた。いつまた撮れるようになるのかもわからなかったし、もしかしたらもう撮れないかもしれない。それでも「いつか」その時がきたらもう一度展示をやろうと思った。

もう誰かを追いかけることも夢もなくなって、日常すらもわからなくなってしまったけれど、春が来たら桜は咲く。夏はきっと暑いだろうし、秋は君の好きな季節だ。だからきっと大丈夫。

私はまたきみに会える日を信じてる。