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私に写真を教えてくれたのは有名な写真家やカメラマンやSNSでもなくて、宮﨑あおいさんです。

彼女の立ち振る舞いや演技はもちろん、ありのままの生き方がとても好きで、彼女がフィルムにこだわって写真を撮ってるのを知りました。

 

18歳のクリスマスが近くなった頃、地元の雑貨屋さんでプラスチックでできたカメラを見つけました。調べてみるとそれはトイカメラといっておもちゃのようなカメラで、使用するのはフィルムでした。

当時宮﨑あおいさんがCMしてるOLYMPUSデジタルカメラが気になっていて、それを買おうかとも悩んでいたのですが、私にとってそれはとても高価なものでした。当時アルバイトはしてましたが、給料のほとんどは学校への定期代と教習所へ通うお金を貯めていたので、自分に使うことはありませんでした。

その時はトイカメラの値段ならなんとか出せるものの、初めて見るものだし、使い方もわからない。何度も迷っては、調べたり、悩んだりしましたが、クリスマスが近づいた頃ついに決意し自分へのプレゼントに買うことを決めました。

 

トイカメラを買ってから、説明書を見てまずフィルムがないといけないと思い、町の写真屋さんに行きました。初めて入るお店だったけれど、いくつかフィルムが置いてましたが、どれを買えばいいのかが全くわかりませんでした。

120mmというのは覚えていたので、パッケージを何度も見比べて本当にこれでいいのかと不安になりながら購入しました。説明書を見てフィルムをなんとか装着し、一番最初に撮った写真は冬の葉の落ちた木でした。枝が細く絵のように繊細で綺麗に見えたのを覚えてます。それから春が近づいた頃に家の近くに咲いてた梅の花河津桜、たんぽぽ、菜の花を撮りました。

初めて撮った写真はフィルムを買った写真屋さんで現像をお願いし、出来上がった写真を見たとき驚きました。

鮮やかな色がとても綺麗でこれが私の見た世界なのかと。なんでもないはずの風景があの時はとても特別なものに見えて、12枚全部を何度も見返しました。予想通りではなく、予想以上の仕上がりに私はうれしくなりました。

それからもどこか旅行に行くときは必ずカメラを持つようにしました。少しずつ新しいカメラを買っては風景や花を撮りました。

もちろんうまく撮れないときもあり、落ち込んだりもしました。どんどん上達するわけでもなく、最初の頃の方がうまく撮れてた写真もあります。

それでも私が写真をやめることはありませんでした。

 

東京に出てくると雑誌に載るような有名な写真屋さんで現像したり、またカメラを買ったりもしました。

当時はインスタもやってなかったので、誰かに写真を見せたことはありませんでした。

唯一見せたのは同じ職場で働いてた子でプリントした写真を見せると、「すごい!すごい!!」と何度も言ってくれました。ずっと私は誰にも見せることもなく撮っていたので、そんな風に言ってもらえた時はとてもうれしかったです。

それから妹がインスタでフィルム写真を載せてるというのを知り、写真屋さんでデータ化するか聞かれるのはこういうことなんだと知りました。それまでは現像とプリントしかしてませんでした。

写真を載せると知らない人からの反応がありました。そしてその頃から少しずつ妹の写真を撮るようにもなりました。

写真が楽しい時もありました。でもあることをきっかけに写真で生きていけたらと思うようになりました。それは写真が好きだからというより私には写真しかなかったというのが近いです。

でも私はいつも下から数えた方が早くて、いつも先を越されてしまって、いつも平気じゃないのに大丈夫と言ってしまって、いつも思ってもいない悪口を言って笑いをとろうとして、いつも嘘をつくときは笑ってみせて、いつも聞きたくないことは全部耳を塞いで、自分のことがどんどん嫌いになるし、自分の写真も好きにはなれなかった。

数年前は私にも夢があって、叶うことはなかったけれど、あの頃は楽しかった。夢を追いかける長い夢を見ていた気がする。

ある時その夢がなくなって、生きてきて一番泣いた日があって。普通ならそこで全部終わるはずだった夢をまたそこから始めました。

その一年後に妹と初めて展示をしました。決してたくさんの人ではなかったけれど、とても大切な時間を過ごせました。あれからもう随分と経つ中、妹から「またふたりで何かしたい」と言われ上京して10年が経つ2021年にもう一度ふたりでやろうと決めました。

不思議なことについ数日前にはじめて写真を褒めてくれた元職場の子から4年ぶりくらいに連絡がきて。「元気にしてる?」の後に「まだ写真続けてるのか聞きたくて」と言われ泣きそうになりながら「続けてるよ」と文字を打ちました。

続けるというのは決して簡単なことではなくて。それに私の写真はいつやめたって誰も困らないし、いつやめても問題はない。それでも私は写真を撮り続ける。意味なんてわからない。ただシャッターが押せるうちは私は私が見たものを残したい。

今も写真を撮る答えはわからないままだけど、写真を撮ってるときだけは私が私らしくいれる気がする。理由なんてなくて、答えはきっとわからなくていいのかもしれない。