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小さい頃からみんなと同じがあまり好きではなかった。

小学生の頃に仲の良い友達と筆箱を買いにデパートに行ったとき、偶然同じクラスだけど違うグループの少し気の強い子に会ってしまった。

その子に筆箱を買いに来たと言うと「じゃあ3人でおそろいにしようよ」と言ってきた。

しかもその子がこれにしようと勝手に筆箱を選んできて。私の友達はどちらかというと流されやすく、合わせてしまうタイプの子だったので

「それでいいよ」と言ってきた。

私はその時すでに買う筆箱を決めていて。一度決めると絶対に変えないという性格はこの頃からあった。

私はどうしてもおそろいにしたくなかった。元々友達ともおそろいを選びに来たわけでもなく、新学期になるからお互い好きな筆箱に買いかえようくらいの気持ちだった。

そしてなによりその子が選んだ筆箱が本当にかわいく見えなくて、たいして仲良くもないのにおそろいにする意味もわからなかった。

結局私は最初から自分で決めてた筆箱を買った。そのため、新学期になると「○○ちゃんと××ちゃんの筆箱おそろいだね!!」と周りの女子が気付き、元々仲の良かった友達はその子にとられたようなもので。私はその一年誰と仲良くしてたのか思い出せない。

その頃の女子たちにとっておそろい、同じとは最高潮の友情の証だった。

私はそこまでして誰かといるくらいなら、ひとりでも自分が好きなものに正直でいたかった。

それからも誰かとおそろいにしたことは一度もなかった。

 

そんな性格のせいで私はひとりになることも多かった。選択の授業で私のグループ全員が同じ授業を選択していても、私はその授業があまり好きではなかったからひとり違う授業にした。

グループが違くても仲の良い子はそれなりにいたので、特に問題はなかった。

そんなことが続くと私の周りに人が集まらなくなり、一番嫌なのは2人組だった。

私には一番仲の良い友達がいない。

相思相愛みたいな関係の子がいないため、だいたい余りもの同士で組まれる。

これは私が3人グループに属してることが多く、いつも私を除いた2人が組みになることが多い。

そんなことばかり増えると私もどんどんひとりになっていく。

 

3人で歩くとき、いつも一歩後ろにさがって歩く癖がある。私は自分からひとりになろうとしている。

 

ひとりでいるととても気楽だ。さみしくなる時もあるけれど、自由なのが私にとって一番嬉しいことだった。

 

本当はひとりという存在に憧れていたのかもしれない。小さい頃からおそろいの服を着て、名前もよく間違えられていた。

ふたりでいないと「もう一人は?」と聞かれる。もちろん私がどっちかなんてわかってない。

これは好きな人に対しても同じだった。

昔好きな人に「見分けつく?」と聞いたとき「全然つかない」と言われたときはとても辛かった。

 

だけど初恋の人は私の見分けを間違えたことが一度もなかった。いつもわざと妹の名前で呼ぶような人だった。一番驚いたのは5年ぶりに成人式で会った時に友達ですら間違えてたのに、間違えずに私の名前で呼んでくれたこと。

とてもとてもうれしかったのに、好きだったことを一度も言えず、数年後私の知らない女の子と結婚したそう。

 

でも本当は私が誰のことも信じてないから、信じてもらえないのだと思う。

本当はもっと人を信じたいけれど、やっぱりこわいなと思ってしまう。

最初から何も持たなければ失うものはないけれど、守るものが何もないと人はずっと弱いままなんだろうな。