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平成元年2月に私は産まれた。

予定日を過ぎても産まれてこなかったため、陣痛を起こす薬を使うことになった。

双子だった私はもうひとりよりも先に産まれたのでお姉ちゃんになった。

母は名前をつけるとき平成元年生まれだから平成の文字を入れようと思った。しかし平の方が平子しか思い浮かばず、さすがにかわいそうと思い平子はやめて、後に産まれた妹は平成とは関係なく好美(このみ)と名付けられた。

 

私の名前はたいして珍しくもないので、学年に必ずひとりは同じ名前の子がいた。その子たちはその名前がとても似合っていて、いいなあ、うらやましいな、なんて思ったこともあった。

私は滑舌が悪いので、自分の名前がうまく言えず、よく間違えられることもあった。だからなのか自分のことを名前で言うこともなかったし、自分の名前に自信が持てなかった。

SNSをやるときも自分の名前があまり好きではなかったので、ずっとウソの名前でやった。はじめてつけた名前は「きさ」で漫画のフルーツバスケットに出てくるキャラクターからとった。理由は響きがきれいだと思ったから。それから「キキ」とか「はな」とか自分の名前とは全く違う名前をつけていた。

22歳のときに当時やってたブログの名前を「はな」から「ハル」に変えた。そこからずっと同じ名前です。

 

写真の活動をするようになったときに「ハル」では同じ名前の人が多すぎて、これでは見つけてもらえないと思った。でも名前をかえるのも嫌だったので、名字をつけようと思ったが、なかなか思いつかない。その時私の名前は名字としても存在してることを思い出して、合わせてみると、意外としっくりしたので、これにしようと決めました。

最初はアルファベット表記にしてたけれど、それでは外国人と思われることが増えたので、漢字を考えることに。本名の「美」というのだけ、名字にするとバランスが悪かったので、「海」に変えました。

ハルはいろいろ考えたけれど「春」が一番似合ってたのでそれにしました。

こうしてできた私の中のもうひとりの私の名前は自分でつけました。けれど一文字だけは自分の本当の名前を使いました。

それは母が平成元年生まれだからという今思えばとても安易な理由だと思ったけれど、私は母が妹ではなく、私にその名前をくれたのがうれしかったです。

平成が終わるとなったときはじめて平成の由来を知り、私はなんて素晴らしい名前をもらったんだろうと思った。

平成が終わるとなり、テレビでは様々な平成にあった出来事や音楽が取り上げられた。人によってはきっと人生の一部や大半だったりするであろうが、私にとっては平成は私の人生全てだと言える。

私に名前をくれた平成、今まで本当にありがとう。

そして私に名前をつけてくれた母に感謝します。今はこの名前とも少しだけ向き合えるようになりました。

 

そういえば学校で自分の名前の由来をクラス全員の前で発表する授業があって。私は自分の名前を黒板に書いてこう言ったのを覚えてる。

「私の名前の由来は平成元年に生まれたので、平成の成をとって成美と名付けられました。」