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2015年、まだZINEというのも今ほど知られてなかったときにはじめて作った。

その年はじめてフォトコンなるものに応募するため自分の写真を冊子にしようと思ったものの、その時の私はフォトショの使い方もわからず、どこで印刷すればいいのかもわからず、本当にわからないことだらけで、印刷所で何回も失敗して、恥ずかしい思いもして、たった一冊作るのにとてもお金がかかった上に全く自分の納得するものが作れず。元々作ってた表紙デザインはサイズが合わないと言われ、もう一から作る気力が残ってなかった私はじゃあこれでいいですと青色の紙を選んで、出来上がった冊子の表紙に白いペンで「Blue」と書いた。それは希望ではなくただの絶望でしかなくて。印刷所から泣きながら帰った時にZINEは絶対に自分の納得するものを作ろうと決めた。

それから本を読んで印刷の勉強をして、別の印刷所を見つけて、フォトショも誰にも教わらずにやり続けた。夜中にパソコンの前で泣きながら編集をしたのを今でも覚えてる。

最初のZINEを作ってはじめて家に届いたとき、泣きそうになった。投げた1万円札はきっと返ってこないかもしれない。それでもやっとかたちにできたのがうれしかった。

でもそのZINEは全然売れなかった。決してお金がほしかったわけではなく、私の写真に価値がほしかった。私だけの何かがほしかった。

その2年後の2017年の春に妹とはじめて展示をやったときに52ページの写真集を作った。泣きながら編集することはなかったけれど、自分なりにとても良いものができたので自信はあったけれど、これもまた全然売れなかった。

その展示から少し経った頃に表参道でやった奥山由之さんの君の住む街の初日に行ったときに、奥山さんを見かけて思わず声をかけてしまった。( 恥ずかしい話だが私は2015年のサカナクションの主催するNFのトークショー(一郎さん、山田智和監督、奥山さんという豪華すぎるメンバー)に参加した際最後にひとりだけ質問という時に迷わず手を挙げて質問した日から奥山さんはこんな私を覚えてくれている。)

その時に私はなぜか自分の写真集が売れない話をして。そのとき奥山さんが「でも作ることに意味があると思います」と言ってくれて。その後泣きながら表参道を歩いて帰ったのを今でも覚えてる。

今年個展をするにあたって新しいZINEを作ることにした。あえて展示と違う写真も入れようと思い、タイトルも展示の同名のタイトルではなく別のタイトルにしようと思った。展示タイトルを決めるときにいくつか候補にあがってた中に「青にならたら」「ハルになれたら」というのがあった。それがとても自分の中でしっくり来るものがあり、即決した。

タイトルか決まったのでまずは構成を考える。両開きにしてそれぞれ青い写真と春の写真で構成し、真ん中の見開きで青い春の写真にしようと思った。でも思いのほか構成がなかなか決まらず、特に見開きの写真が決まらなかった。息詰まったので一度考えることから離れてみた。その後インフルになり、1週間仕事を休むことになり、病み上がりで江沼くんのライブへ行った。そこで江沼くんの写真集を買って、ライブ前に見たときに写真はもちろんよかったが、構成やデザインがとても良くて、写真の配置や余白の使い方によってこんなに変わるのかと。それを見てから一度考えてたデザイン構成を全て白紙にし、一晩で新しいデザインを考えた。(出来上がったときには窓の外の空が明るくなってた)それから今度はフォトショでデータを仕上げて、入稿した。仕上がりがとても不安でしかなかったが、届いた日に玄関でダンボールを開けて1冊を取り出して見たときはとてもうれしかった。

青になれたらはずっと青に憧れた私がいて、ハルになれたらはずっと春に憧れた私がいます。

春をハルにしたのは私自身がハルという名前に憧れて、SNSで自分につけた名前がハルだったからです。この名前にしたのは確か地元から上京した時で。もうあまり覚えてないけれど、その頃から好きな漫画や小説、映画の中にいるハルという人にとても憧れて私もそうなりたいと思ってつけたんだと思います。今もハルという名前にしてるけど、本当の名前ではないからその名前で呼んでくれる人も少なくて。やっぱりハルにはなれなかったな、なりたかったなという思いも込めて作りました。あと冬生まれだったので春の穏やかで暖かく、どこか優しいところも憧れてたんだと思います。

普通の本屋で売ってるものに比べたら高いと思います。でもこれは私がゼロから作ったものです。ひとりで全部やったものです。どうか少しでもあなたの心に届いたらいいなと思ってます。

 

あと遅くなりましたが、個展で一番最初のZINE「Blue」、写真集「春の君、春の夢」は全て完売しました。買ってくれた方々、本当にありがとうございました。